2020.11.24 長崎最終日
明日の仕事も早いので、昼頃に長崎を出る予定を最初は立てていましたが、軍艦島の予約が11/22〜11/24の朝まで埋まっていました。
13時から予約をとったので、帰りは19時の便になったわけです。
それでもまだ行けなかった所があるくらいなので、結果的には良かったです。
朝ラン。昨日同様、出島あたりを走りました。もう初日からの筋肉痛が限界です。
①ホテル→②亀山社中記念館→③風頭公園展望台→④ツル茶ん(ミルクセーキ)→⑤出島→⑥長崎港ターミナルビル→軍艦島→⑥→⑦ATTIC COFFE 2nd(ラテアート)→長崎空港
相変わらず鬼畜な坂道の長崎市内
荷物を置いて少し観光し、チェックアウトの11時までに戻ってきます。
走ってシャワーを浴びた後、8時半頃に出発。
亀山社中記念館
google mapで案内された経路↓
がまじで鬼畜です。亀山社中記念館があるのが、まさかの山の中みたいです。
結構登ってきました。
まだ登ります。
ようやく到着。すんごい所にありました。310円。
コナンでも登場した場所です。
亀山社中(後の海援隊)は、坂本龍馬らによって1865年に設立された日本初の商社です。
坂本龍馬は高知・土佐のイメージが強いですが、長崎も非常にゆかりのある土地になっています。
展示がある部屋は2つありますが、聞いたところ手前の部屋は撮影OKで、奥はNGとのことでした。
コナンでも忠実に再現されていました。
次は展望台を目指します。
坂がえぐすぎます。
登ってきた道を撮ってみましたが、伝わりますか。
9時半に到着!!
絶景です。ここからの夜景も綺麗でしょうね。
パノラマ↓
坂本龍馬の像
少し休憩してホテルに戻ります。
この下りが一番きつかった。
初日のランで壊れた足はもう崩壊。一段ずつ、手すりを掴みながらでないと下りられませんでした。
足が死んでるときは、上りより下りの方がきついですね。
下りてきた道を見上げたらえぐすぎました。
なんとかホテルに帰還してチェックアウト 。
ミルクセーキの元祖・ツル茶ん
朝と昼のご飯を兼ねてこちらへ。
ミルクセーキの元祖のお店。長崎で一番食べたかった食べ物です。
っとその前に、これまた長崎名物のトルコライスで舌鼓を。1380円
皆様ロケみつってご存知ですか?関西ローカルで、サイコロを振ってブログのコメント数で資金が決まり、旅をする番組です。
10年ほど前に毎週欠かさず見てましたが、そのとき以来ずっとミルクセーキを食べてみたかったのです。
これがもう最高に美味でした。720円。
なおトルコライスも注文したからか、ハーフサイズを勧められました。ここはやっぱり普通のサイズ。
店内にはたくさんのサインが飾られており、座った席の後ろをふと見てみると...
まさかのロケみつで訪れた早咲ちゃんのサインがたまたまありました。
ミルクセーキがある店はたくさんあって、ロケみつで紹介されたのがこことは知らなかったんです。すごい偶然でした。
鎖国時代、唯一外国と日本を繋いだ貿易地・出島
出島にやってきました。入場料520円。東から入りました。
出島のミニチュア
特徴的な扇形です。
各建物にいろいろ展示されています。
こちらジャワ島のバタヴィアという所らしいのですが、すごいですね。
かなり繊細に作られた陶磁器です。
風情があります。
解体新書!!
原品は、今回行けなかった長崎歴史文化博物館にあるようです。見てみたかった、、、
カピタン部屋(商館長の住居兼事務所)
豪華絢爛です。
東側の出入り口↓
コナンの中では工事中でしたが、もう終わっているようでした。
引き返して真ん中から退出。
この日は結構暑かったです。
軍艦島クルーズ
いくつかの会社がツアーを行なっていますが、やまさ海運で予約しました。
当日3810円をお支払い。
別の会社の受付ですが、Go Toかと思ったらGOTO(五島)で笑いました。
13時発のクルーズです。修学旅行生もいて満員御礼でした。
軍艦島までは40分ほどですが、ガイドさんが道中の建物や場所の解説もしてくださり、楽しめました。
当時世界最大の戦艦大和は呉で建造されましたが、その姉妹艦武蔵はこの長崎港で建造されました。
大型艦船が通れる高さの65mになっています。
超巨大です。
海自の方々が手を振ってくださいました。
造船所・三菱重工香焼工場
通称100万ドック。世界最大のドックです。
いよいよ到着、軍艦島です!!!
無事上陸
ガイドさんの話によると、天候によって軍艦島は1年のうち100日も上陸ができないようです。
我々が立ち入れる場所はかなり限られており、3つのポイントで解説がされます。
ちなみに、万が一柵の向こうに物を落としてしまった場合、条例によってガイドさんですら入って取りに行くことは禁止されているようです。ご注意を。。。
さて、この軍艦島こと端島は炭坑として開かれました。次第に人口が増加して開拓が進み、最盛期の1960年頃には5300人となり、人口密度が東京の9倍で世界最大となりました。
こうして日本の発展に大きく貢献した端島ですが、エネルギー革命によって石炭から石油に変化したことにより徐々に衰退し、1974年に閉山、以降無人島となり現在に至ります。
昨日訪れた旧グラバー住宅などと共に、明治日本の産業革命遺産として世界遺産にも登録されています。
第1見学広場での説明
北東にある建物は、端島小中学校。
1〜4階が小学校、5・7階が中学校、6階が講堂、図書室、音楽室となっています。
当時の光景
石炭を運ぶベルトコンベアは、支柱を残すのみ。
左手の小高い丘の上にある建物は、他ににはない風呂などがあって部屋も少し広く、位の高い裕福な家庭が暮らしていました。
軍艦島は狭いですが、最初はさらに狭く、採炭技術の発達と人口増加にともなって6回も埋め立てされ、3倍広くなったそうです。
最初はこの赤のラインまで↓
第2見学広場での解説
こちらは端島の中枢を担い、総合事務所や主力坑の第二竪坑があった場所です。
まずエレベーターで600m地下を秒速8m下るようです。一般的なエレベーターの秒速は1,2m程なので、尋常じゃない速さです。
そこからトロッコに乗り換え、地下1000mまで移動して採掘作業をします。作業中は30℃、湿度95%超えと、かなり過酷だったようです。
また、終わった後のお風呂は3回入る必要があり、「①作業着のまま塩水で→②裸のまま塩水で→③真水」という流れになっています。そうでもしないと汚れが取れないんですって。
下の写真の柵の向こうに平らな道がありますが、この下に地下トンネルがあります。
第3見学広場での解説
奥にある灯台は、昔は島に家の灯りがあったのでありませんでしたが、閉山の翌年にできたようです。
この右手の少し黒ずんだ建物は、日本で最初に建てられた鉄筋の高層アパートです。
崩壊が進んでいますが、ガイドさんが5年前に撮影されたときの写真はまだ崩壊も酷くなかったので驚きました。
その写真は撮り損ねましたが、パンフレットの写真とほぼ同じ状態だったのでご参考に。
補強を試みましたがもう難しく、後は崩壊するのを待つことしかできないそうです。
また、あまりの人口密度にテレビアンテナがすごいことになっていました。
↓ネットで検索した画像
当日日本の平均月収は2万円で、テレビは10万円だったようです。
かなりテレビは高額ですが、軍艦島の家庭には大体あったことから、この採掘の仕事がいかに危険で高収入だったのかが伺えます。
島の端には25mプールの跡がありました↓
他にも書くべきことはありそうですが、文量もだいぶおしているのでこの辺りでやめます。
時間が来たので船へ。上陸していたのは30分ぐらいでした。
修学旅行生が写真撮影をしていました。一生の思い出になるでしょうね。
船で島を一周して戻るみたいです。
東側↓
個人的には西側の方が好きです↓
軍艦島は戦艦土佐に似ていることから名付けられました。
東側はカオスですね
鳥居がありました。
軍艦島は台風の影響を受けやすく、とてつもない高波が襲うようです。
去年くらいの台風の影響で少し崩れていました。
15:38、長崎港に帰還。上陸証明書をもらえるが、この会社の特徴です。
15:58に大波止を出る空港行きのバスに乗りたいのですが、一箇所だけ行きたかった所に行きます。南に少し歩いて...
ATTIC CAFFE 2nd
坂本龍馬のラテアートが飲んでみたかったんです。473円。
頼んだら4分で来ました。時間がないのでありがたいです。
15:46に届いて15:52に飲み終わりました。ここからバス停までは、
ギリギリでいつも生きていたいから Ah〜
ということで、何とか15:58のバスに間に合いました。
佐世保行きと同様で、長崎駅からのバスで南向きの方のバス停です。
16:40に空港到着。19時の便までゆっくりします。
食べれてなかった、細いのが特徴の五島うどん。かき揚げ大好きなんですよねー。値段は失念。
長崎空港にはプレミアムカードで入れるラウンジはないですが、楽天のゴールドカードで入れるカードラウンジがあります。
無料で用意されてるのはソフトドリンクで、軽食などはありません。カードラウンジあるあるですね。
1時間ちょっとゆっくりして搭乗。行きはピーチでしたが、帰りは去年の仙台以来のJALです。
長崎の夜景もすごかったですが、大阪の夜景もやはりすごいです。
梅田周辺はやはり桁違い。
無事伊丹空港に到着。これにて長崎編終了です。
最後は、蛍池駅のトイレにお土産のカステラを忘れたのを十三駅で思い出したというお話で締め括りたいと思います。
疲れてて早く帰りたかったので、無かったことにしてそのまま帰ろうか一瞬考えました。
家に着いたのは気付けば22時半。ということで、ありがとうございました。